環境を整える

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    子どもたちと過ごす中で『環境ってだいじなんだよなぁ』・・・そんなことを改めてしみじみ感じる今日この頃です。

    木や母ちゃんだった頃は「おもちゃも人も空間も物的環境。環境を用意するのが大人の役目。その子らしくのびのびと自己発揮できる環境を用意していきたいですよね。」とお話ししながら、おもちゃ選びのお手伝いをしてきました。
    そして、ピピやピピ2のあゆみさんとなってからは、子どもたちの療育をするための環境づくり、子どもたちが自分でわかって選んで楽しむための環境づくりが仕事になっています。
    環境によって、その子に「今これする時間よ」とか「ここではパズルするんだよ」とか「これやったら次これしよう」といったことを伝えることができます。子どもたちが、そういう『どこで・何を・どうやって・いつまで・終わったらどうする?』というようないわゆる見通しをもって取り組むことができる環境を整える方法が構造化という方法…という風に私は理解しているのですが、この見通しって障害があろうがなかろうが、大人だろうが子どもだろうが だれもが必要としていることだと思います。
    これがないと、いっつもだれかに教えてもらわないといけないし、常に「これでいい?」って不安を抱えながら生活することになるんだろうなぁ。そんな生活は安心なんてとてもできないし、ましてやそんな環境で『自分の力を発揮する』なんて大人だってできません。
    そういう目で回りを見てみると…社会って見てわかるような整備が整ってきているように思います。
    ピピを始めた頃の「視覚支援や構造化は社会に出たらないから、なくてもできるようにしていかないと」なんて言葉は何の効力も持たない時代がやってきました!
    ピピ2で「あゆみさん」として子どもたちとかかわる時も、昨年から再開したおもちゃ屋(就労B 木やサービス)で木やのおばちゃんする時も、子どもたちが安心してのびのびと力を発揮して楽しめる環境づくりをしっかりやっていきたいなぁ〜そんな思いをますます強くしています。

    おきあがってなんぼでしょ!

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      生きてりゃ何度か挫折もあるし、思うようにならなくて悩むことも一度や二度ではないわけでして・・・

      そんな時に、私がなんとなく遊んでいるのが「おきあがりこぼし」
      今まではピエロで遊んでいましたが、最近「きつね」が仲間入り♬
      今日もなんとなく遊んでいます(笑)
      考えているのは、現在の本業:放課後デイサービスのことです。
      ピピを始めてかれこれ9年?10年?になります。この間に、モッキーができてピピ2ができて今年は木やサービスもできました。
      福祉サービスを利用する方たちの状況がいろいろと変わっていく様を、ずっと見せてもらっている気がします。
      そんな中、なぜかずっと変わらず(関係者が集まると)「どうにかせねば」と話になるのが『連携の困難さ』です。
      放課後デイサービスは、家庭と学校(子どもによっては他事業所も)相談支援事業所との連携が必要になってくるのですが、これがなかなかスムーズにいかない…と、放課後デイの事業所の集まりでみんなで頭を悩ませています。
      1人の子どものことをみんなが思って関わっているはずなのに、なんだかうまくいかないものなんですよね。なんでかなぁ?
      うまくいってることももちろんあるのですが…うまくいってる時とうまくいかない時、何がどう違うんだろうなぁ〜〜?
      そんなことを思いあぐねながら「おきあがりこぼし」で遊んでいます。
      そもそもどういう状態が「連携」できてる状態なのかなぁ?なぁんかざっくりした言葉よねぇ〜。。。
      そんなことを思いながら、おきあがりこぼしで遊んでいると、なんとなくうまくいきそうな気がしてくるから不思議です。
      いろんなことがあるけれど、やっぱ、おきあがってなんぼだよね。
      よし!明日もバリバリ子どもたちと遊ぼう♪

      生きとるけん生きとる!

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        私の大切な友人の一人がALSです。

        出会った頃は、おもちゃ屋と某放課後等デイサービスの児発管だったでしょうか。
        おもちゃを注文しに木やに来てくれたんだとうっすら…そのころ確か私もピピを始めたころで、あれやこれや盛り上がって話しした記憶がよみがえります。
        その後しばらくしてからだったでしょうか、彼女から「ALSなんだわ」と告げられたのは。
        ALSという病気についての一通りの知識は持っていましたが、知識でしかない分、どう反応してよいのかわからなかったのを覚えています。わからない分、いつもと同じように大笑いしてしゃべくり倒す友人のままでいようと心に誓ったことも覚えています。
        そしていま彼女は、自宅からリモートで私の苦手とする請求業務やらの事務的な仕事をしてくれる大切なパートナーでもあります。変わらず大笑いしながらしゃべったり、時には愚痴を言い合ってなぐさめあったり、、、私はそれなりに激しい人間なのですが、そんな自分を受け止めてくれるという安心感をもって、気持ちをぶつけることができる数少ない大切な友人です。それは、彼女がどういう状況になろうと変わらないことです。
        ALSの方をめぐるニュースが最近世間を騒がせています。
        いつもはそんな連絡はしないのですが、今伝えておかなくちゃとなぜか思い…「生きてこそ!だで。生きとるだけで丸儲け!だけんな。」と連絡しました。
        今は、仕事だってリモートでできる時代です。しゃべれなくたって、視線入力だってある。動けなくなっても、おりひめっていう分身ロボで接客だってしてる時代。生きてれば、これからもっといろんなものができてくる。機械の力でも何でも使って、生き続けていれば、いい薬だってできるかもしれない。なんにせよ、生きてなきゃ話にならんのです。
        それに、もともと私たちは、障害があろうと自分らしく生きていく・やりたいことを実現するお手伝いをする仕事をしているわけですし。。。そもそも、何かができるから生きてるわけではないしなぁと思います。
        今は健康だとしても、だれだっていつ不治の病にかかるか、突然 障害を抱える人生を歩むことになるかわかりません。
        その時に、生きるか死ぬかを選ぶ・迷うなんてこと自体がおかしいと思うのです。
        心も体も健康な時に「なんで生きているのか?生きてていいのか?」なんて考えないように、自分がどんな状態になっても、家族や親しい人たちがどんな状態になったとしても、私はあたりまえのように「生きとるけん生きとるだわい!」って言える世の中であってほしいと願っています。
        そして私も自分がどんな状態であろうと『生きとるけん生きとるだわい!何しても死ぬときは死ぬだけん。それまで生きとるってだけのことだわい。』そんな風に堂々と生きていきたいと思っています。
        ALS当事者の方や、その他にも障がいがあったり、病気があったりしている方たちが、今回のニュースを見聞きしても「生きてて悪いか!ボケ!」って悪態つくくらいの勢いでさらに元気に楽しんでくれますように!願っています。

        目的と手段

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          目的があって手段がある。

          あたりまえのことだけど、ついつい取り違ってしまう事でもあります。

          そして、取り違ってしまうと方向がとめどなくずれていきます。

          ずれていることに気づけばまだいいけれど、気づかずに突き詰めていってしまうと…その先って何にもないんだろうなぁ〜

          そんなことを思うと、ぞっとするのです。

          わたしは、目的と手段をとり違ってないかしら?

          人となにかをする時、誰かのことを考える時「目的はここだよね」というところはきちんと押さえておかなくては、、、と思います
          まぁ当たり前のことではありますが。
          あたりまえのことをあたりまえにきちんとやっていける人にならなくちゃなぁ〜

          崩す

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            積み木遊びを見ていると、哲学者の気分になってくることがあります。

            つんだり崩したり、ならべたり崩したり・・・

            そうかぁ。。。崩すから次に新しいものを作れるんだぁ。

            崩すからおしまいにしたってのがわかるんだぁ。。。

            崩すってことは、そんなに悪いことじゃないね!

            子どもたちの遊びから、なんとなく次へのヒントをもらった次第です。
            私の固い思考もちょっとは崩せたかしら?

            初心に戻れってやつかしら?

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              今日のこと...

              見たことも聞いたこともない相談支援事業所から突然 空きがないか?の連絡。利用検討の見学らしき話ぶり...ありがたい話ではあるんですが、なんかちょっと構えるわけです。うちのこと(やってることやどんな考えでやってるのか 等々)ご存知でないであろうはずなのに、何をもってこの相談支援専門員さんは うちを候補にして空き状況を聞いてきてるんだろう?

              この何とも言えない気持ち悪さって元商売人だから感じるのでしょうか。見てもない、遊び方もわからないおもちゃをお客さまにおすすめするなんてしたことないもんなぁ。いろんなおもちゃを実際に手にとって遊び方や発展のさせかたなんかを調べたり 考えたり 身近なところで試したり...そうやってはじめて自信をもっておすすめできてたもんなぁ。。。

              相談支援って福祉サービスのコーディネートをするようなとこなわけですよ。利用者さん(当事者さんやその家族さん)のニーズに合わせて、こんなとこあるよって提案するのに、実際にサービスしてる事業所のことを知りもしないでよく提案できるもんだなぁ...そんなことを思いつつ「どんなニーズでうちは何を求められてますか?必要ならば調整はしますが、それが必要かどうか 求めておられることにうちが応えることができるかどうか判断するための情報をいただけないですか。」と応えたら「親御さんと相談してまた連絡します」と電話を切られてそれっきり。

              なんじゃらほいって思う気持ちと、必要としてくれてたかもしれない子に応えれなかったのかもしれないという申し訳ない気持ちと、放課後デイはいっぱいあるからそんなに思わなくても大丈夫だよね とも思ったり...何とも言えない後味悪い結末にぐったり😣💦💦💦ピピを始めた頃 こんなんよくあったなぁ。初心に戻れってことかしら。

              ピピやモッキーでやっていることが、必要としている子どもに届くためには何をすべきか...初心に戻ってちゃんと考えなきゃなぁ。。。何とも言えない後味の悪さを打ち消すべく、そんな風に切り替えているところです💦


              客観

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                子育てであれ、保育であれ、私たちのような療育であれ、子どもたちと過ごしていると自分の器を試されているような瞬間はちょくちょくあるのではないでしょうか。

                私は最近ようやく、目の前で起きたこと・出てきた言葉に踊らされずに『それが起きたのはなんでかな?』とか、言葉の裏側にある『本当に言いたいことはなんだろう?』と どんと構えることができてきたように感じます。

                それと同時に、ようやく『よかれと思って』のじゃまをしない大人になれてきたと感じています。

                自分がそう感じているだけで、実際はうっとうしいことしてるかもしれませんが・・・

                 

                大人ってどうしても「正しい」ことにこだわるんですよね。それも周りから見られた時の「正しい」だったりします。

                おまけに、親としての自分だったり、保育者としての自分だったり、療育に関わる者としての自分だったりが、周りから見て「正しい」と思われたいがための、子どもに教える「正しい」だったりするので、よく考えてみればぐちゃぐちゃの「正しい」ですwww

                 

                そういえば、息子が小さいころ こちらが「言うこと聞かさなきゃ!」と思う時に限って、言うこと聞かなかったなぁ〜。今もそんなもんですがwww

                 

                子どもたちの言動には、なにかしらの意味がある。

                そんなことを頭に置いて、出てくるあれやこれやを客観的に受け止めて、子どもに返すことができるようになりたいものだなぁ〜と思いつつ、今日もあれやこれやのできごとを楽しんでいます。

                 

                 

                 


                店を閉めて1か月・・・

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                  木や店舗を閉めて、なんやかんやバタバタしているうちに1か月がたちました。
                  今でも日曜日になるとなんとなく店に行く気分になって、夫婦で苦笑いしたりしてたらり
                  この1か月何をしていたかと言いますと、体制づくりとやる気充電でしょうかw
                  そして、ぼちぼちと取り寄せのご希望にこたえております。
                  店で在庫をもっているわけではないので時間がかかりますし、1個ずつのご注文にはこたえることは難しいと思います。(まとまった注文に便乗することはできると思うのですが、そうそうタイミングが合うともかぎりませんし。。。)
                  時期によってはお待たせすることもあろうかと思います。(これもやってみなくっちゃはっきりとわからないのですが。。。)
                  ただ、今まで以上に丁寧におもちゃを販売できるのではないかと思っています。
                  ほんとによいと思うおもちゃを、本当に大切に使ってくださる方にきちんと責任をもって販売することができる体制づくりをただいま考えているところです。
                  やる気充電とあわせて、しっかりと体制づくりができたら、また改めて報告したいなぁと考えています。
                  今月中には詳細をまずはネットにてお伝えできるかなぁ?
                  どうぞよろしくお願いします。
                  取り急ぎの「木や その後・・・」でしたぺこり

                  立ち位置変われば見方も変わる。。。

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                     木やにいるときはブログの更新をする!を今年の目標に掲げて すでに挫折しそうな今日このごろ・・・
                    困ったときはお題だ!とおもってチェックすると、きょうのJUGEMブログのお題は「男らしい、女らしいなぁって思う仕草ってありますか?」とのこと。。。むーんまだこんなこと言ってんだァなんて困るような感慨深いような・・・
                    こういうテーマに飛びつく年代ってのがあるのかもしれませんねぇ。わたしはとうに過ぎてしまいましたがwww

                    男らしさ女らしさってのはどうかわかりませんが、立ち位置によっていろんなことの感じ方や見方って変わるものだなぁということはここのところ特にかんじます。
                    当たり前のことではありますが、自分の環境の変化(就職・結婚・出産などなど)によって感じ方や考え方ってかわるものです。
                    例えば、とても歩くのが好きな人がいてどんな遠くでもなるべく歩くようにしていて それは特に自分に課していることではなく好きなことなんだ という話にしても、「ふーん そうなんだぁ」と思う私と「すごい!」と感動する人といるわけです。もっと考えていけば、もし私が髪振り乱して子育てに店にと奮闘していた頃にそんな話を聞いたならば「自分で自由に使える時間がたっぷりあっていいですね」ってそんな話をきかせてくることに腹が立ったかもしれませんし、結婚する前の時間を自分の自由に使える時に聞いたならば「私も見習おう!」って思ったかもしれません。今は「ふーん」としか感じない立ち位置にいるんだなぁと思います。

                    自然体で自分らしさを前面に出している人に対しても感じ方は、自分の立ち位置で変わってきます。
                    それを「魅力的な人」という見方もできれば、自分らしさを自然に出せるってことは周りがかなりイラつきながらも「仕方ないねぇ」と諦めているんだろうなぁという見方もできますし、周りがどうであれ自分を押し通せるということはその人の「強さ」「しなやかさ」という見方もあれば、ただの「わがまま」という見方もあるわけです。
                    私自身はその時その時で自分に求められるものを出していくことが自分の仕事だと思っているので「自分らしさ」とか「自然体」とかに特に魅力を感じない立ち位置に今はいます。

                    子どもの起こす出来事にしてもそうです。
                    その出来事が、本人が困っている出来事なのか周りが困っている出来事なのかという点でも、立ち位置によっていろんな意見が出るわけです。

                    ただいま、児童発達支援管理責任者の研修の資料を見ながら「何に困ってるんだろう?」と考えているのですが、これもどうかすると自分の立ち位置によって感じ方も考え方も違ってくるんじゃないかしら?とちょっと不安になりました。(相談支援事業者の研修の時にも思ったけれど)
                    個別支援計画というものを作るのがこの児童発達管理責任者のメインの仕事のようですが、よほどしっかりと自分の立ち位置を心得ておかないと、本人に必要のない・家族にも必要のない いわゆる「じゃまテゴ」満載の支援計画になっちゃいそうです。気を付けよう。

                    一つの出来事をいろんな立ち位置に立って見たり感じたりできる それが歳を重ねていく事の魅力なのかもしれないなぁ〜
                    男らしさにも女らしさにも それを感じる仕草ってのにも、自分らしさにも自然体にも魅力は感じないけれど、歳を重ねていくことでいろんな立ち位置を経験して見方・感じ方の引き出しが増えていくことにはとても魅力を感じるなぁ〜
                    そんなとりとめもないことを考えて、研修の宿題から逃避している本日なのでございます

                    もう9月なかば・・・

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                       ブログのアップもままならないうちに時は過ぎ・・・早9月も半ば!!
                      あ〜〜!!!!LaQイベントのアップしてない〜〜〜!
                      よろしかったら、フェイスブックにてアップしていますのでご覧下さいね。

                      木のおもちゃ専門店 木や フェイスブック


                      夏休みも終わり、私の 木やのおばちゃん&ピピのあゆみさん 2足のわらじ生活も1年が経ちました。
                      平日はピピ、土日・祝祭日は木や のパターンが定着しました。
                      どっちの顔の時も子どもたちの次々と発展する遊びに圧倒されてばかり!
                      「お〜〜!すごいね!」「やったね!」と言ってばかりの毎日だったなぁ〜〜なんとも幸せなことです。

                      2年目は、子どもたちに新しい提案ができるよういろんなことをしっかりと学んでいく年にせねばなぁと思っています。
                      もしかすると、ますますブログの更新は滞るかもしれないなぁ〜なんて思いつつ、ぼちぼちとアップしていきますのでよろしくお願い致します。


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