「○○ちゃんがやるって選ばれました!」とか「やる?ってきいたらうなずきました」っていう申し送りです。
自分でやるって選んだんだから、やらなきゃいけないといういわゆる自己選択・自己責任ってことが言いたいんだろうなぁと思いつつ聞いているのですが、なんだかモヤモヤ。
自分で選んで取り組んだという子どもの表情が曇ってたりしたらますますモヤモヤ。
「やる?って聞いたらうなずいた」っていう状態が、ほんとに選んでる状態なのか?!
そもそも、やるorやらないの2択で「やる」と言うことは、ほんとうに選択したことになるのか?!
それを自己選択と言っていいのか?!
・・・そんなことをモヤモヤ考えつつ腑に落ちない顔で「そうですかぁ」という私は、きっと相手方からしたらめんどくさい人なんだろうなぁと思いつつ・・・
ピピ2でも選択というのは、とても大切に考えていることです。
選択というからには、当然 選択肢をいくつか用意します。
やるorやらない の2択ではなく、いくつか用意するのです。
それと…選択というのは、
『Aを選ぶとこんないいこと(メリット)があるけど、ちょっとがんばらないといけないこと(デメリット)がある』『Bは、こんなこと(デメリット)があるけれど、早く手に入れることができる(メリット)』という風にそれぞれの選択肢にあるメリットデメリットを子どもが理解できるよう示すことが大切だと思います。そして、そのそれぞれのデメリットの部分について、この時はこうしようかと提案し、
もし「いいこと(メリット)」のみで、やるorやらないを示したのであれば、それは誘導です。
誘導だった場合、その後起こったこと(不安が強くなった・すごく
でも、なんだか申し送りで聞く感じは「自分がやるって選んだんだから、仕方ないよね」という印象なのです。それだったら、最初から、安心して取り組めるよう準備を万端に整えて、無理なくできるようにサポートして達成感を味わってもらうようにしたらいいのになぁと思うのです。
『本人に選択させるということは、
それらがされていないのであれば、誘導です。誘導の場合は、
選択肢を増やすための経験を増やす意味での誘導は有り。その際は、必ず成功体験になるよう準備万端に整えて誘う。』
しっかりとそのあたりを思って、子どもたちと過ごしたいなぁと思っています。
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遊び見せといって、目の前で興味を持ってくれるように遊んで遊び方を伝えたり、途中まで作って仕上げのところで「はい。どうぞ」とパーツを渡していっしょに「できたー」を分かち合ったり☺️子どもに合わせてこの遊び見せや遊びの導入は変わってくるわけですが、そこが元おもちゃ屋の私は得意とするところ❗
先日も、、、形が得意の子とパターンブロックで遊びました🎵
二人で作ったキレイな模様‼️
崩さないよう慎重にパーツを並べる小さな指が働き者です☺️
積み重ねて、危ういバランスも楽しんだりして☺️
遊びの導入が済んだらあとは、子どもが自分で遊び出せるようサポートです。
遊びの導入、遊び見せ 大人の私ができるきっかけ作り。
ふふふ☺️明日は何して遊ぼうかなぁ〜
]]>ある日のこと。
帰り際に「あゆみさん、トランスフォーマー置いた」と、さらっと言われて???
ノートパソコンを動かしてみると後ろにこっそり、LaQの作品が❗これが『トランスフォーマー』なんだな☺️
カエルもいたのでセットで置いてます。
こういうかわいい作品が、崩せないんだよなぁ〜。そして、LaQが足りなくなる💦
理事長‼️パーツ買ってください‼️
]]>あたりまえのことだけど、ついつい取り違ってしまう事でもあります。
そして、取り違ってしまうと方向がとめどなくずれていきます。
ずれていることに気づけばまだいいけれど、気づかずに突き詰めていってしまうと…その先って何にもないんだろうなぁ〜
そんなことを思うと、ぞっとするのです。
わたしは、目的と手段をとり違ってないかしら?
やっていくうちに、移動おもちゃ講座の中でおもちゃ遊びの講座とアナログゲームの講座とで分けてするようになったのは、それぞれの遊びの醍醐味をちゃんと伝えたいと思ったからでした。(今でも時々ご依頼いただいて、予定が合えば張り切って出かけています。めったに予定があいませんが・・・すいません)
昨今、アナログゲームで療育・・・という言葉を見たり聞いたりすることが増えてきました。
へ〜〜そういう時代が来たんだなぁ〜〜と思ったり、療育とまで言いきってしまうと大人の思惑がビシバシ伝わってくる感じがなんだかなぁ〜〜と思ったり。思惑なんてそこはかとなく漂う程度で、やってみたら ふたを開けたら 思ってた以上の素敵な気づきがあったり、思っていたようにいかなかったこともなんだかんだでよかったねっていうくらいの遊びとしてアナログゲームは楽しんでほしいなぁ。これって遊び道具は遊びとして使ってほしいなぁというおもちゃ屋だけの願いでしょうか。。。といっても、まだその関係の書籍に目を通したことがないので、あくまで言葉から感じたこと。書いてあることはもしかすると、私たち夫婦がアナログゲーム講座で伝えたいと思っていたことと重なることがあるのかもしれません。読まず嫌いせずにちょっと取り寄せてみなくっちゃと思っているところです。
つんだり崩したり、ならべたり崩したり・・・
そうかぁ。。。崩すから次に新しいものを作れるんだぁ。
崩すからおしまいにしたってのがわかるんだぁ。。。
崩すってことは、そんなに悪いことじゃないね!